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季節の波を読むススメ

春の終わりに訪れた鎌倉の山林が、実に季節感不明で美しかったので写真を撮った。冬を引きずったようなしょんぼりとした木もあれば、今は春だと言い張るような桃色の木、夏の訪れを感じさせる新緑の木も生える。

そんな風景を見ていたら、植物たちはどのように四季を感じているのだろうと、ふと不思議になった。花開の時期を間違うと、実や種を育てることができない植物にとって、四季の判断は死活問題。

動物には光を感じる「光受容体」があって、私たちの目はその最たるもの。目を持たない植物にもそんな光受容体があって、光の強さや差す時間のほか、人間には感じられない波長までも感じとっている。「これは冬から春に向かう時の波長だな…」なんてことまで感じながら、四季を判断している。

一方、人は植物のように、無意識に四季の波長を察知することは勿論できない。四季の変化に気づかずワンパターンな生活をしていると、日増しに気分が萎え、やる気が湧かなくなる。戦後の民俗学ではこうした状態を「気枯れ」(けがれ)と読んでいた。マンネリにより「気」が枯れて、生命力が衰えた状態のたとえらしい。

この「気枯れ」の状態を防ぐために昔の日本人たちは、例えば立春の直前の節分に「豆」を捲くなど、四季の変化にかこつけてさまざまな行事を行ってきたのだという。

そんなことを考えながら改めて自生する草木に目を向けると、豊かな四季の巡りを当たり前に一身に受ける姿にはっとする。気持ちが知らずに枯れないように、ふとそんな自然の移り行く表情に、目を向けてみるのも良いなと思う。

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