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季節の波を読むススメ

季節の波を読むススメ 春の終わりに訪れた鎌倉の山林が、実に季節感不明で美しかったので写真を撮った。冬を引きずったようなしょんぼりとした木もあれば、今は春だと言い張るような桃色の木、夏の訪れを感じさせる新緑の木も生える。 そんな風景を見ていたら、植物たちはどのように四季を感じているのだろうと、ふと不思議になった。花開の時期を間違うと、実や種を育てることができない植物にとって、四季の判断は死活問題。 動物には光を感じる「光受容体」があって、私たちの目はその最たるもの。目を持たない植物にもそんな光受容体があって、光の強さや差す時間のほか、人間には感じられない波長までも感じとっている。「これは冬から春に向かう時の波長だな…」なんてことまで感じながら、四季を判断している。 一方、人は植物のように、無意識に四季の波長を察知することは勿論できない。四季の変化に気づかずワンパターンな生活をしていると、日増しに気分が萎え、やる気が湧かなくなる。戦後の民俗学ではこうした状態を「気枯れ」(けがれ)と読んでいた。マンネリにより「気」が枯れて、生命力が衰えた状態のたとえらしい。 この「気枯れ」の状態を防ぐために昔の日本人たちは、例えば立春の直前の節分に「豆」を捲くなど、四季の変化にかこつけてさまざまな行事を行ってきたのだという。 そんなことを考えながら改めて自生する草木に目を向けると、豊かな四季の巡りを当たり前に一身に受ける姿にはっとする。気持ちが知らずに枯れないように、ふとそんな自然の移り行く表情に、目を向けてみるのも良いなと思う。

能動的ラグジュアリーな建築

能動的ラグジュアリーな建築 建築という言葉はまだまだ取っつき難くいイメージがある 生活を支える大事な部分であるのだから、もっと身近に感じる存在であったら良いなと思っている。と思いながらもつい小難しく建築や空間を考えてしまっているところは否めない。もちろんロジカルで文化的な側面も重要であるが、、 そんな時は、いつも3歳の息子に教えられてしまう 長い空間があれば走り、高さのある深い空間であれば声を上げ響きを楽しむ、空が見えれば寝転がり、狭い場所を見つければ潜る 空間と仲良くなるのが上手いのだ。 森に行けば平坦でない道を歩き、自然の声を聞きながら新たな発見に出会う 丘が有れば転がり、川が有れば石を投げ水の音を楽しむ いつも目を輝かせ満面の笑みで走り回る。 追いかけるのが大変なのは言うまでもないのだが、 そこにあるのは、本質的で能動的に空間や場を楽しむ、まさにラグジュアリーな体験であり、自然と建築、人とが有機的になる素敵な関係性なのではと思う。 そういえば、フランクロイドライトはまさに有機的・自然・建築を探求し続けた建築家だ。この機会に掘り下げてみたいので次回の題材にしようと思う。 視点はあくまでDAICHI的な観点! ちょっと脱線してしまったが、時代の変化としてモノからコトへ移り空間も体験が重視される様にソフトとハードを同時に考える事がベーシックになってきているだろう。 息子は、モノでもなく体験でもなく本能的に空間を体感しているとするならば能動的ラグジュアリーな建築は、体感をつくる事と考えてみたい 体感を作るためには純粋にその場所にあるものを、長さという切り取りや、深さという印影、風の音や、草木の匂い、自然の豊かさを建築によって顕在化することで感じられると思う 建築の魅力の大きな本質のひとつだ やはり小難しくなってしまったが、つまりは笑顔になってしまう楽しい場所を作るためには本質的な豊かさを建築によって体感できるようにしようということだ そんな風景をたくさんつくり先ずは自分が仲間たちと楽しみたい

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