能動的ラグジュアリーな建築
建築という言葉はまだまだ取っつき難くいイメージがある生活を支える大事な部分であるのだから、もっと身近に感じる存在であったら良いなと思っている。と思いながらもつい小難しく建築や空間を考えてしまっているところは否めない。もちろんロジカルで文化的な側面も重要であるが、、
そんな時は、いつも3歳の息子に教えられてしまう
長い空間があれば走り、高さのある深い空間であれば声を上げ響きを楽しむ、空が見えれば寝転がり、狭い場所を見つければ潜る
空間と仲良くなるのが上手いのだ。
森に行けば平坦でない道を歩き、自然の声を聞きながら新たな発見に出会う
丘が有れば転がり、川が有れば石を投げ水の音を楽しむ
いつも目を輝かせ満面の笑みで走り回る。
追いかけるのが大変なのは言うまでもないのだが、
そこにあるのは、本質的で能動的に空間や場を楽しむ、まさにラグジュアリーな体験であり、自然と建築、人とが有機的になる素敵な関係性なのではと思う。
そういえば、フランクロイドライトはまさに有機的・自然・建築を探求し続けた建築家だ。この機会に掘り下げてみたいので次回の題材にしようと思う。
視点はあくまでDAICHI的な観点!
ちょっと脱線してしまったが、時代の変化としてモノからコトへ移り空間も体験が重視される様にソフトとハードを同時に考える事がベーシックになってきているだろう。
息子は、モノでもなく体験でもなく本能的に空間を体感しているとするならば能動的ラグジュアリーな建築は、体感をつくる事と考えてみたい
体感を作るためには純粋にその場所にあるものを、長さという切り取りや、深さという印影、風の音や、草木の匂い、自然の豊かさを建築によって顕在化することで感じられると思う
建築の魅力の大きな本質のひとつだ
やはり小難しくなってしまったが、つまりは笑顔になってしまう楽しい場所を作るためには本質的な豊かさを建築によって体感できるようにしようということだ
そんな風景をたくさんつくり先ずは自分が仲間たちと楽しみたい